空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

ライフワークはスクラップブック作り(?)。

報告遅れましたが、ディズニーアート展にちゃんと行って来ていた私です。
絵のうまい友達が一言、「私が1枚でもこんな絵を書けたら生涯満足すると思う」。

そこで思いました。
絵は彼女のライフワーク(今はお休み中、だそうです)。
私のライフワークは?
やっぱりお菓子作りと文章を書くことだろう。

お菓子作りはレシピがないと何もできない私。
そう、レシピ通り作ることはできてもレシピを作ることができないんです。
これが私のコンプレックス。
文章は・・・書けば書くほどひどくなっていくような気がします。
昔の方がもっと、素直だった。情熱があった。言いたいことがすっと言えた。

きっとこういうと、周りは「自分に厳しい」「自己評価が低い」というのだと思います。
でもほんとの話。

私がこのブログで気に入っている記事は、今思い出せるとしたらギルバート・グレイプの感想を書いた時ぐらい。
最近、このブログ「私の好きなこと」のスクラップブックになっていると思います。それはそれで、自分の自然な流れだから任せていようとも思うのですが。

今日は大好きな本「ぼくらはみんな生きている」から、きっといちばん好きなページをスクラップします。

青い空色のごはん

どうして青い色をしたごはんは、ないのだろう。あずきを使えば赤いごはんができるし、フライパンでドライカレーなんか作ったら、黄色いごはんにもなる。赤や黄色があるなら、青いごはんもあるのではないか。よく晴れて気持ちいい日の、青い空色をしたごはんが食べてみたい。
かあさんに電話して聞いてみたけれど、青いごはんはないと言う。そうか・・・。あきらめようとしたら、鍋が入っている棚の奥に、かき氷にかけるシロップがあった。ビンのラベルには「ブルーハワイ」と書いてある。もしかしたら、これでいけるかもしれない。
お米を洗って、メモリの少し下のところまで水を入れた。次に少し足りない水の代わりにブルーハワイのシロップを入れてみる。水はうすい青に染まっていく。それで炊飯器のスイッチをオンにする。
おかずは何にしよう。青いごはんにカレーをかけるのも嫌だし、今日のこの気分はインスタントラーメンでもない。冷蔵庫をあけると、好物のさしみがあった。そうださしみにしよう。
ご飯が炊けるまでテレビを見ていると、スイッチがオフになる「カチッ」という音がした。飛び起きて白いテーブルをひろげて、冷蔵庫からさしみを出して、小皿にうつす。お椀にはインスタントのみそ汁を入れて、はしとお茶の入ったコップをテーブルの上におく。
次にしゃもじを取り出して、いよいよ青いごはんだ。
炊飯器の前に立ち、ゆっくりとふたを開いた。そしたら、入道雲みたいなゆげが「ぶわっ」と出てきた。その奥に青いごはんが見える。大きな入道雲の間から見える海のようだ。しゃもじですくってみると、地球にスコップを入れるような感じがしてどきどきした。


もうね・・・書き写してて落ち込みました。
この筆者の方は、大学時代にバイクに乗っていて事故にあい、頭を打ち、意識が戻ったらなにもかもわからなくなっていた、自分が誰かも、おなかがいっぱいという感覚も、何もかもすべて。そういう体験をした方です。
文章に邪気が一切ない。邪悪なものが全く感じられない。
さくらももこのいさお君だったり、知久さんのルンペンだったり。そういう・・・憧れですよね。
何も持っていない者だけが持つ美しさ。
この文ひとつ取っても、「選んでいない」。この短い文章に出てくるすべてのものが、平等な価値を与えられているような気がする。
そしてこの、感性、感受性の素晴らしさ。
こんなに短い文章なのに・・・完璧に見える。
私がこの本に惹かれて、何度も何度も読んだのは、子供ですらない、まるで異星人が見た地球や日本。それが日本語で語られていたからです。
もちろん障害を乗り越えていく、その辛さには涙するし、あまりにも残酷な周囲の対応に怒りを覚えたりもします。でも、文章がただひたすら、好きだった。素晴らしかった。

私がみつけたいさお君や、ルンペンの少年。
それが坪倉優介さんでした。



(タイトルを変えて文庫にもなっているようです)