空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

買われるのを待つ犬と、もらわれるのを待つ犬。

少し前に、ネットで「譲渡 犬」と検索して、当たったかわいらしいわんこ達の譲渡会場に行ってみていました。
福島で保護された犬をお母さんにした子犬達が、数ヵ月に育った子達でした。真っ白で、もののけ姫の兄弟みたいで惹かれました。
人間関係に疲れていて犬の救いがすぐにでも必要と感じていたし、また私の癖というか…もう生き方ですが、実際に自分で経験して納得したいのです。

結論からいうと、譲渡犬はひどく不安定に感じました。体か心のどちらかが弱っている、またはアンバランス。
妙に興奮しているか怖がるか、または無反応に近い無関心。
これはもう、介護に近い覚悟というか、犬に癒されるのでなく犬に寄り添う覚悟で、一時期はすべてを捧げる覚悟で飼わなければいけないものなんだなとわかりました。
それは、今の弱っている私にはとてもできそうにない。よーく撫で撫でだけして、静かに帰りました。

犬達はボランティア団体のみなさんに、里親のように育てられていて、連れ帰る家がしょっちゅう変わってしまうこともあるみたい。定期的に譲渡会場で知らない人達に囲まれて…過去に受けた傷もあるし、やはり安定するには難しい環境と言えそう。
団体の方は福島まで行かれてわんこ達を連れ帰ってきたのでしょうか。ばかにならない費用は…そしてなにより、愛情と責任。やはりすごい方達。

服を着て街を散歩している血統書つきの犬達は、みんな溢れんばかりの無邪気さとかわいらしさと生命力の輝きと、なにより愛を発しているけれど、それはやっぱり、子犬時代の経験や成育環境に大きく左右されるのだなと改めて肌で実感したような気がします。
彼らは愛玩犬で、つまり愛し愛される、それが人間から望まれた役割で、お仕事。
ずっと子供でいていいし、またそれを望まれているのです。

だけど、譲渡犬はやはりそうはいかない。「大人にならざるを得なかった」「大人になるしかなかった」犬達で、またそれを、愛玩犬という「子供でいることを望まれる」カテゴリーに戻そうとする試みだから…やはり、難しいと思います。

犬に値段がつくことにも、それ相応の見返りがあるのだと知った日でした。
私は今は、ペットを「買いたい」という意見に戻った犬好きの1人です。