空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

黄金の果実。

「自分が世界一かわいそう」
「自分が世界一の苦労人」
と言いたくてたまらない人は、きっとまだその時期をやり終えていないのだと思う。

私は幸運なことに、かなり早い時期にそれに「飽きた」。
とてつもない傷と、二度と戻らない可能性を身に染みて感じて暮らしながら、自分を傷つけた人を思いやっている人達と暮らしたから。
苦労をバネにして、むしろ自ら人より苦労して、何倍も伸びて成功して、そうして得たものを無償に自分の子供達に与える人を親族にたくさん持ったから。

これだって、言い方次第では「私だけがいつも人と違ってしまう環境にいる」とも言えるわけで。
私を、苦労知らずの、なんの痛みも絶望も、怒りも孤独も知らない、何も考えていない人にしたくて仕方ない人はいつも手ぐすね引いて待っている。
いつもいつも、的はずれのお説教にさらされてきた。それでもプラマイで自分に得があると感じたなら、そこへ通い続けた。

私と縁が切れない人に共通していることは、「傷を、苦労を人に言わない」。お説教なんてしない。
そんな時間を、努力に使った方がずっと効率がいい。
そんな時間を、愛する人達と食べる夕飯に使った方がずっと楽しい。

私はよく、「恥ずかしくないのかな」と感じてしまう。
自分が今、不幸自慢をしているまさにその相手が、自分より傷ついた過去を持つとは考えないんだろうか。
自分が今、苦労自慢をしているまさにその相手の両親が、自分より有能ではるかに苦労しても、余裕で荒波に毎朝漕ぎ出していく可能性を思い付かないんだろうか。

相手の自分より楽な部分を見て、自分より辛いだろう部分は絶対に見ない。
自分は他人に体調の悪さを心配してほしいけど、自分は他人の体調を決して気遣わない。
私はそれは、逆だと思う。逆をやった方がいい。
相手に上から目線で話せば話すほど、相手を攻撃すればするほど、自分から自分の未熟さを周囲に宣伝しているようなもの。
きちんと人生の課題を終えた人は、ほぼ例外なく「自信があって謙虚」なものだもの。

私がのんきに見えるのなら、それはもしかしたら、もう一周回りきったからかもしれない。
体が原因不明の不調だろうと、いじめられそれを私を原因にして片付けられようと、私は幸福感のただ中にいる。
これは私の、ほとんど休みなく不理解や偏見の中で戦ってこなければならなかった人生が実らせた黄金の果実のようなもの。
誰にももぎ取れないし、きっと価値をわかる人も少ない。

私、幸せだなあ。
たまらなく幸福だなあ。
これからも私は、この不理解や想像力のなさから来る攻撃にさらされ続けるんだろうな。
でも、今も今日も明日も、きっと幸せ。