空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

偉大なアーティスト、たま。

もうすぐ知久寿焼さんのライブにまたひさびさに行くので、母にたまの話をした。私の考えるたま、たまというバンドから感じること。

私はたまはすっごいバンドだと思う。偉大な芸術家。

たまはバンドだけど、どのジャンル、って言えない。ロックとか、ハードコアとか。ジャンル、たま。さらにたまの色を引き継げるバンドは今だ出てきていない。つまり、誰にも真似できない。
たまは縛られない。自分で限界を決めない。バンドがアコーディオンひいちゃおう。拾ってきた空き缶をドラムがわりにしよう。あれもできるんじゃ?これもできるんじゃ?

たまをただの一発屋だと思っている人に聞きたい。自分でアルバムを聞いてみた?自分自身で判断した?
たまを笑う人に言いたい。じゃあお前は思い付けたのかよ。笑うだけは簡単だよね、誰にもできる。笑われる覚悟でやる方がその何十倍も難しいんだ。

たまの世界観。ビールに映った風景のように淡くて不思議な世界。悲しい絵本や、さびしくてきれいな子供の歌のよう。日本の詩人たちの魂を引き継いでる。
あの世界観をメンバー4人が共有できたことがまず奇跡。しかもたまは、4人とも作詞作曲、ボーカルができる。
たまってバンド名も、バンド名なんにしようか、そういうのににこだわるのってかっこ悪いよね、ってメンバー誰かの部屋で打ち合わせてたときにたまたま飼い猫がいたからじゃあ猫でいいじゃん、たまでいいじゃん、ってつけた。○○ズとか横文字よりずっとかっこいい。

たまは障害者ぶってるだけのニセモノ、って批判も聞いた。私はこう思う。
たまは生まれついての障害者に親近感というか、美しさというか、とにかくそういうものを感じているのだ。アルビノであったり、そういうことがよく登場する。
たまのそのろくというアルバムは、発禁を食らってる。店で売れない。また下らない団体が騒いだか何か、あったんだろう。
でも、発禁、お上が売るなと決めた作品というのは、ある意味後世からしたら勲章なのだ。それほどの表現をした、ためらわずに。

たまは絶頂期にアイドル扱いに限界で、ゲストに呼ばれた生放送のラジオで石川さんが放送禁止用語を使った。それに知久さんがさらに放送禁止用語をかぶせた。そこから干された。

このすべてが、たまの反骨精神を語ってる。ものすごいパンクス。パンクスっていうジャンルじゃなくても、精神がパンクス。
笑われることを恐れないで、自分の「好き」を表現する。自分の感性を信じる。
たまがなぜ社会現象になったか?それはたまが本物だったからだと思う。理屈じゃなく、みんながそれを感じた。伝わった。
それがたまの幸福だったのか、不幸だったのかはわからないけど。

表現者なんて笑われてなんぼ。めちゃくちゃやって、もちろん基礎があって成立してて、それで感動させたらもう言うことない。それがいちばん素晴らしい表現のかたち。

たまと同じ時代に、同じ国に生まれられたことに感謝している。
私はずっと、そう思ってきた。きっとこれからも。







これらの曲はみんなアルバム「ひるね」に入っています。
私が子供の頃に、たまに初めてであった大切な1枚。
毎晩「もう1曲だけ聞かせて、あともう1曲聞いたら寝るから」ってせがんだなあ。