空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

ファンタジーと現実世界のバランス。

きのうのスタジオジブリの特番「スタジオジブリ物語」を大変おもしろく見ました。

宮崎さん若い!知っているエピソードも多数でしたが、知らないエピソードももちろん多数。ハイジをやったときに30そこそこってすごい・・・。同僚に「バケモノ」と評されるほどの溢れんばかりの才能だったようです。そしてやはり大変に生意気な若者だったよう。今の若者が許せない、そう語る怒れる老人って大抵、怒りが向かう相手である現若者以上に手に負えない若者だった人ですよね。そういうのってなんか好きです。年取っても丸くならないほどのパワーがあるんですよね。

ファンタジーをめぐる高畑さんと宮崎さんの姿勢の違いについての、一素人の、一感想です。
宮崎さんは若い頃からずっと、もののけ姫までもそれ以降もファンタジーを作り続ける。高畑さんはとなりの山田くんでそれに反対した。人間はどうせみんなほどほどだ、適当でいい。ムカつく、キレるなんて自分の能力の過信だ。ケセラセラ、なるようになれ。

20代も後半の現在の私はどちらかというと、高畑さん寄りの考えだと思います。それは自分の実体験から。
ドラマから、映画から、マンガから、本から、あらゆる優れた創作物から繰り返し「10代は素晴らしい時代」と教えられてきた。でも実際の自分の十代は、人生の中でいちばんみじめな時代だった。
素晴らしいことなんか何も起こらない。友情も、恋も。自分は選ばれた存在ではない。何ひとつ達成できない。ただ耐え、ひたすら待ち、コンプレックスと自意識過剰の渦にもまれるだけで精いっぱいの毎日。そういう時期でした。
その苦しみを「輝いた作品と比べて私の人生はみじめじゃないか、おかしい」という無意識の考えが助長した。でも実際はちっともおかしくなんかないのです。創作物は、現実から生まれたもの。現実の上に創作物が乗っかる、これがあるべき姿なのに、半分創作の世界の中で育ってきたような子供だった私は創作物の上に現実が乗っかったような発想をしていた。だからみじめな自分が余計に辛かった。
「自分の限界を知る」「無力な自分を受け入れる」ということは、弱い者にできる最も素晴らしい英断ではないでしょうか。

それでも。それでも思うのです。
同時に、創作の世界への現実逃避は救いになり得る。ハリーポッターの中でいちばん好きなシーンはハリーがホグワーツに向かう前のオープニングのシーンです。だれにも愛されず、何も期待されず、何の希望もなく、世界でいちばん恵まれていないと思える自分が、別の世界では実は天才で、有名人で、人気者で、主人公だった。この設定だけで、不幸な子供がどれだけ救われるでしょうか。どんなに辛くても、物語の世界にいる間だけは今の辛さを忘れられるのです。ノンフィクション「itと呼ばれた子」で全米最悪の虐待を受けたとも言われた著者は、虐待が日常化しているとき、スーパーマンになった自分を空想した。それだけで気分がよくなったと書いていました。

宮崎さんが海外での千と千尋のプレミア上映後、少女から贈られた感想がよかったと言っておられる映像を見たことがあります。「私の10歳はこんな素晴らしい10歳じゃなかった。」宮崎さんは当然、子供達とそれを取り巻く現実とファンタジーの微妙なバランスをわかっておられるのです。
宮崎さんが著書「出発点」のなかで引用していて、このブログにも何度も書き起こした大好きな文章があります。
「つくられた世界?たしかにそうさ。客も役者同様それは知ってる。それでも楽しんでくれるのさ。・・・・・・お客さんたちは、自分が勇敢で強くて、美しいことをさとるんだ。
なぜ?そりゃお客さんの心のどこかに、そうした性質があるからだ!
つくられたウソの世界?そうじゃない!わしらはお客さんたちに真実を見せているのさ。こういうふうにだってなれる、というかたちでね・・・・・・。」

ロイド・アリグザンダー「セバスチャンの大失敗」神宮輝男訳)
ファンタジーは今にも死にそうなほど現実の辛さに弱ってしまった人の心を空に舞い上がらせることだってできる。それによって人々は現実を生きるのに必要な眠っていた能力を覚醒させ、生きる力を再び蘇らせることができる。

何よりも、何よりも大きな大前提として、アニメはエンターテインメントなんだという事実があると思います。どんなに素晴らしい主義主張があっても、おもしろくなければ人はそれを見ない。
宮崎さんの作品達を見たとき、まず最初に思うのが「最高におもしろい作品ぞろいだ」ということ。宮崎映画は隠された裏のストーリーがある、深い、問題提起がある、子供だけの物ではない、数々の受賞歴、世界のミヤザキ・・・そんなことはあとで、何よりも「めちゃくちゃおもしろい」。最高にわくわくするアクションを、主人公が取る。これ以上の強みがあるんでしょうか。

「ファンタジー」と「現実世界を生きること」。両者のバランスは、現実世界をたくさんやって、ご褒美程度にファンタジーを。これがベストな気がします。これが逆転すると十代の頃の私のようになってしまう気がする。
それでも、人ってものすごい生き物です。間違いを犯しても、再起不能と思えるダメージを食らっても、変化する。進化する。○○が誰かの人生をだめにしてしまうなんていう考えそのものが、もしかしたら自分の作りだす物、ひいては自分の能力への過信であり、人という生き物の無限の可能性を信じていない証拠なのかもしれません。

きのう番組を見終えて思ったのは、やはり私の一部分となり今も私の中で育ち続けている物をくれたスタジオジブリ、高畑さんと宮崎さんが私は大好きだということでした。

YouTube - Hayao Miyazaki - Biography