空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

「応援」の前に必要なこと。

人生の半分以上闘病をやってきて、私の人生観はある点で変わりました。
ある日突然困難にさらされた者、不公平で理不尽な苦難に立ち向かわざるを得なくなった少数派に対して、多数派は応援をする前にしなければいけないことがあるのではないか。

それは「尊敬」です。

彼らにはどうしてもできないことが自分には簡単にできる。それだけで、自分にはアドバイスする権利があるのだと思っている方が実体験から非常に多いように感じます。
それは間違いではないか。歩くことができなくなった人にアドバイスができるのは、何の苦労もなく昔も今も歩くことができる人ではなく一度歩くことができなくなった所から歩けるようになった人ではないでしょうか。そして、そういう経験をした方は、求められない限り大概アドバイスをしない、余計な口出しをしないというのもまた私の実体験からの実感です。簡単に口出しなどできない、それをされて自分も辛かった。それを身にしみてよくわかっているからです。

彼らが尊敬に値するのは、彼らがたった今この瞬間も、理不尽な状況と闘い続けているからです。自分より難しい課題に挑戦している人に上から意見するという発想は、私には非常に不思議です。

そして彼らをサポートする側にも、応援の前に必要なことがあるように思います。
それは「感謝」。

人と気持ちよく付き合う上で、相手を敬うこと、自分がへりくだることは相手の個を尊重し、認めるための最低限のプロセスだと思います。挨拶や笑顔、それだけで人間関係は潤滑に回り始めます。
失礼というのは思っている以上に人を苛立たせる。伝えたいものも受け入れられなくなってしまう。だから礼儀ってほんとに大切だと思います。

今回の地震でも、同じことが言えるのではないでしょうか。
被災者を敬い、救助や支援に当たっているすべての方に感謝し、その上で応援をする。もちろん物資などは急を要しますが、それでも彼らを人として尊重することは決して忘れてはいけないことだと思います。

被災地にいる方々すべてに、尊敬と感謝、応援を送ります。