空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

差別の奥深さ。

映画が好きで、よく映画館に母と二人で行きます。

こないだ見たのは、「リリーのすべて」。
素晴らしい作品でした。素晴らしい演技でした。

でも。見終えた後に残る違和感。
LGBTはみんな、昨今のLGBT映画ブームをどう見てるんだろう。
「キャロル」も見ました。両方ともオスカーに絡んだLGBTの映画です。

吹き荒れる絶賛の嵐。でも思うんです。いつも世論を作るのは、当事者じゃなく部外者なんじゃないかと。

私の感想。
LGBTはみな、驚異的に美しくカリスマ性がなければいけないの?
LGBTのラブストーリーは、どうして最後は人間愛になってしまうの?
差別はLGBTが身近になった今でも、形を変えて残ってるような気がする。
そして一番怖いのは、それが当事者を余計に苦しめたり、傷つけたりすること。

LGBTが自分がLGBTであることに気づくのは、思春期だと思うんです。
1人でそれを抱えて、「リリーのすべて」や「キャロル」を見に行ったらどう思うだろう。
私はスクリーンに映る主役達のように美しくない。だからLGBTを公言してはいけないんじゃないだろうか。
LGBTは普通の恋ができないの?または、どうして私の恋は実らないの?
私にはリリーにいたような理解者がいない。私は、ひとりぼっち。

いろいろ思います。
当事者はそんなに馬鹿じゃない。
美しいのは映画スターが演じているから。
これらの映画に描かれていることがLGBTの現実なのかもしれない。
今迫れるのはここまでが限界。

でも本当にそれだけ・・・?

もしも「リリーのすべて」や「キャロル」が当事者たちを傷付けるなら、それは制作に関わった人達の本意から最も遠い結末ではないのか。

話は少し変わりますが、乙武洋匡さんの不倫問題も。
私は世論が一方に傾くことに恐怖を感じるタイプの人間です。
それとまた、当事者乙武さんがどう感じているのか知りたい。
有名税。その怖さも感じます。

真面目に言うなら、「乙武さん、傷付いていませんか?世論が一方に傾くことへ恐怖を感じ、有名税の恐ろしさをいつものことながら感じます。」
ふざけて言うなら、「こんなにもてる障害者他に知らない!」
私はある一つの出来事で、その人がそれ以前に行ってきたすべてを忘れてしまうような人々が怖い。
乙武さんを嫌いになれません。今までの、彼のネット上での勇気ある行いの数々を忘れていないから。
障害者が乙武さんを嫌う。自分は乙武さんのようになれない。乙武さんの存在が自分を苦しめるから。
それもわかります。
でも乙武さんって、やっぱりすごい人だと思うんです。ユーモアのセンス。打たれ強さ、叩かれ強さ。その強さに人間としてずっと惹かれて来ました。

私の今回の記事がLGBTや、身体障害者を傷つけたり不快にしないことを願ってやみません。
ちなみに私は、どちらにも属しませんが同じマイノリティです。