私の、かまちのノート。
私の持っている山田かまちのノートです。
たぶん兄のおさがりで、表紙はボロボロ、赤と青の付箋でいっぱい。
昨日の美の巨人たちでかまち、やっていましたね。
かまちの作品のほとんどすべてが、人の目に触れるという前提で描かれたものでないということ。ただ書きたいから、描きたいから、創った作品だということ。それがすごい。
だから人の日記を盗み見るようで読むのに少し罪悪感の様なものもあるのですが、それがまたいいのかもしれない。秘密の共有者、みたいな。
その昔、かまちに恋していました。顔も自分と似ていると思ってた。それがまたうれしかったり^^
美術館にも行きました。涙がこぼれました。どうしてこんなに洗練された感受性の持ち主が、死んでしまったの・・・?
17歳で、ギターの練習中に感電死という劇的な最期がまたかまちを伝説の人にしている理由のひとつなのかもしれません。
大好きな詩、いくつか書き写してみます。
「人を感動させたいなんて
それはおもしろくない発想
それよりも、
自分が感動したい。
人を感動させるという行為はない。
ただそう思い込んでいるだけである。」
「虹のように消えてゆくきょうも
午前0時で明日に繋がっている。」
「ためらうこと?
ない。
おびえること?
ない。
ただ、 書けばいい。」
かまちは何になれたのだろう?というような問いが番組最後にありましたが、
詩人、画家、ミュージシャン、すべてになれたと思います。
でもたぶんBOOWYの一員になったんじゃないかな。美術館の館員さんが「布袋くん」(!)なんて言っていました。仲がよかったみたい。
いとおしいかまち。
これもまた私の青春の1ページでもあるのです。
山田かまち - Wikipedia
高崎市山田かまち美術館 | 高崎市