空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

今の気持ちを正直に。

ふと、気付いたことがある。

私はまだ、「恐れ過ぎる」のだ。
自分が経験した苦しみ、それが大切な人の身の上に起こることを。

お正月の3日に、兄一家が我が家に遊びに来た。
甥や姪は、成績がふるわないらしい。
でも人気者で、学校は楽しいらしい。

それを聞いて思った。
私が13歳の頃に起きたこと、
それまで親の期待に応え続け、数学は内外含め1位の成績で中学に進んだ事実、その中で初めて出したSOS、自分自身の声、「学校にはもうこれ以上通えない」、が見事に踏みにじられたことで「私は親の期待に応えなければ親に愛されない人間なんだ」と確信してしまったこと。

それは甥や姪の身の上には起こらないんだ。
私は大好きな甥や姪が傷付くことで、心配したり不安になったり怖がらなくていいんだ。

今考えれば、私が弱過ぎたのかもしれない、感受性が過敏過ぎたのかもしれない、幼少時代母親と離れて暮らした経験が関係していたのかもしれない、
私が愛されない子だと、そう思い込んだ理由はわからないし、わかる必要ももうないと思う。

今はどんな私でも親は愛してくれるのだと、たくさんの経験と傷の積み重ねから思えているから。それは自分の闘いの中で得られた確信だし、闘病の苦しみから逃げなかったことは私の誇りでもある。

だけど、私はまだ怖がっている。
甥や姪がいじめられないか、自分は親に愛されないと思わないか、
また、身近な甥や姪だけでなく、
いわゆる少数派があらぬ非難を世間から受けて傷付かないか、
(この少数派には社会的勝者、成功者も含まれると思う。芸能人、年収1000万以上、高学歴、
また一転して元犯罪者や、精神科の患者、認知症の患者に至るまで)
この恐怖心は、信じられないほど傷付いたかつての自分の経験から来ているもので、同じ思いをする人が二度と出て欲しくないという、古傷のうずきみたいなものなのだろう。

だから私は世の中で炎上があるたびに、炎上した人の味方になりたい、と反射的に思うし、
冷静になれないのだ。

こないだ一生懸命読んでいたシリーズ本12冊の中で、恐怖は知性で抑えられる、とあった。
私の経験から言えば、頭と心はまったく別物で、頭でわかっていたって心はその通りにならない、というのが定説なんだけれど。

わかることは、私はもっともっと努力しなければいけない。

経験したことのないことを経験してみたいし、
勉強ももっとしなければいけない、
自分を磨き、高めなければならない。

今、アルバイトをしています。
始めてから半年が過ぎました。
働くという経験も、私には勉強です。
いい歳してまだアルバイトかとか、たくさん疑問とか、自責もあるけれど、
発病した時が肉体的に忙しかったり、精神的に追い詰められたりしていた時期だったので、
フルタイムは負担が大き過ぎるのでは、と考えてアルバイトにさせてもらっています。
これについても、父の「お前が働いたら社会に迷惑をかける」という反対もありながらも、なんとか始めました。
今でもこの父の言葉が胸の奥底にこびりついていて、バイト先で迷惑か、迷惑でないかで自分の行動をはかっていることが多々あります。

わからないのは、実感としては勉強を積み重ねることや、アルバイトよりも闘病や差別の方がはるかに難しいし苦しいのに、世間の評価は違う、ということ。
周りの評価は、
働くこと>勉強すること>闘病、
という順番のように感じます。でも実際やってみた感想は、
闘病や差別されることがダントツに難しくて、勉強や働くことはそうでもない。
もしこの実感が合っていて、私が引きこもりの頃、社会の勉強しろ、働け、というプレッシャーにどれほど怯えていたか、プレッシャーをかけた人達が知ったら、言ってやりたい。

私は大変な道のりを歩いて来たんだ。
そしてまだ生き残っているんだ。
マイノリティになる苦しみも知らないで、
よくもまああんな無責任なことが言えたな。
私は本当に死ぬところだったんだ。
殺されるところだったんだ、無責任な世論に!

私の腕の傷の話を母が友達にすると、大抵がためらい傷が数本、と考えるそうです。
実際に私の腕の傷を見た人の中には、泣き出した人もいます。麻痺も皮膚の一部に残っています。

その腕の傷のことを、店長に電話で話しました。
腕の傷を、実際に店長に見せました。そして正直に、自分でつけた傷だと言いました。
バイト先は製菓関係で、腕を出さなければならないので言う必要がありました。
店長は、ネットホータイをして働いてもいいかと本社に聞いた上で、私を採用してくれました。傷のことはやけどとでも周りには話して、と。本当にいつも人に恵まれた、と思います。

最近思うんです。
自分の人生を振り返るんです。
苦しみ続きの人生だった。出会っては別れの繰り返し、肝心な時に発病してしまう。

でもやっぱり、37年間生きて来たんだなと。

もっと頑張らなきゃいけない。
本当にそう思うんです。