空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

マジで、世界ウルルン滞在記。

母が「うちでいちばんたくさんの賞状をもらったのは空飛び猫かもしれないね」と、この間言いました。

小さい頃は作文や絵で頂きました。
大きくなってから、うれしかったのは製菓関係で2回もらったこと。

でも皮肉です。

私は発病してしまって、いまだに、自分の居場所を見つけられない。

親戚といると、「この人達は恵まれ過ぎている。世の中には本物の泥沼やドブ池のような、ゴミ溜めのように人を扱う場所が確かに存在しているのに。そういう場所に何度も身を置いてきた」と思う。自分だけ、汚れているように感じる。
そして逆にまた、友達といると、「私は恵まれ過ぎている。愛情や金銭面に。そういう場所に何度も身を置いてきた」。そう思う。

最近思うのは、「愛はそこにあった」のではないかということ。
私が感じられなくなっていただけで、隔離拘束されている間も、閉鎖病棟にいる間も、なんと認知症の病棟にいる間でさえ(当時、体にケガをした精神疾患を持つ者を受け入れる病棟は数少なかったため自傷を禁じられ、代わりに飛び降りてしまい、骨折を負った私にこういう事態が起きた。そこは絶えず糞尿のにおいが漂い、うめき声が響き、ゴキブリの巣で、真夏なのに当然クーラーなど効かず、愛はかけらもなかった。2人だけ、ショックから高熱を出した私に救いの手を差し伸べてくれた女性がいて、私はその二人を天使と聖母のように感じた。)、両親だけは少なくとも、私のことを愛してくれていた。お見舞いに来てくれた。
親戚だって、私を愛してくれていた。友達も。だからお見舞いに来てくれたのだし、絵を描いてくれたのだし、手紙をくれたんだ。

底辺をまだ掘った地下のような場所にいた時でさえ、私を愛してくれた人。
これだけ側にいながら、何の愛も分け与えてくれず(自分が山程持っていながら!)、ひとかけらの時間さえ、割いてくれなかった人。

それはよく覚えていたいと思います(笑)。嘘ですけど。

私はマザーテレサが好きです。
公言しませんが、私は日本の二ヒマル・ダイに確かにいたことがある。死を待つ人々の家。姥捨て山です。
そして同じ服を着、同じ扱いを受け、1か月以上そこで暮らした。
彼らを差別することができるでしょうか?
私は今でも、仲間だと思っています。

こういうことがありました。
大学病院に移れることが決まっていたので、私は、母に折り紙を差し入れてもらい、朝顔を折った。そして裏に1枚1枚こう書きました。「笑ってください、あなたの笑顔は誰にも奪えません」。
今思えば青かったと思います。笑うことすらできなくなっていくのが認知症なのに。
それを1枚1枚、車いすで配り歩きました。
眠っているおばあさん達の、いつかは誰かのお母さんだった人の、バリバリ働いて時代を作っていたであろう人達の、枕元に置きました。
一人、首から下がマヒしている人がいて、その人だけは私と同じようにとても若かった。
「あの色がいい」「やっぱり、この色がいい」。たくさん迷って、2枚欲しがってくれました。2枚、プレゼントしました。

私は、どこに所属すればいい?
私は、どうすればいい?
毎日のように襲われるこの胸の不安感に、終わりなんて来るのか・・・?

この間親戚たちと話していた時、まさに私の病気の、悪口になりました。
父は「それだけ空飛び猫の症状が軽くて、忘れてたってことだろ」。と言いましたが、私もそう思おうとしますが。
やはり、恵まれた場所しか知らない人は無神経だと思わずにいられなかった。

さて。現実問題。
明日親戚の集まりに、私は出かけなくてはなりません。
休むことは許されません。

正直言って、とても辛い。でも行かなければ。
こんな時、何に救いを求めるのか・・・?
情けないけれど、頓服薬です。

この宙ぶらりんな感覚。
いつかすべてが溶けて、頂いてきた、貴重な貴重な愛を返す、配ることに集中できる人間になりたい。
久々にもらえた製菓の賞状でうれしかったのは、祖母と叔母が大層喜んでくれたことでした。