空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

一億総評論家時代。

レミーのおいしいレストラン。

素晴らしい映画です。もう、見終えたとき大号泣&1人スタンディングオベーション
作中で批評家を非難する、という先手を打って批評家達をも黙らせた。
何より実際に、素晴らしかった!
物を創るということ。そのすべてが、この映画に詰まっていると思う。

評論家イーゴの大好きなセリフ。
「評論家というのは気楽な稼業だ。
危険を冒すこともなく、料理人たちの必死の努力の結晶に審判を下すだけでいい。
辛口の評論は書くのも読むのも楽しいし商売になる。
だが評論家には苦々しい真実が付きまとう。
例え評論家にこき下ろされ、三流品と呼ばれたとしても、料理自体の方が評論より意味があるのだ。
しかし、時に評論家も冒険する。
その冒険とは、新しい才能を見つけ、守ることだ。
世間は往々にして新しい才能や創造物に冷たい。
新人には味方が必要だ。
昨夜、私は新しいものに巡り会った。
思いもよらない創り手による素晴らしい料理を味わえたのだ。
作品も、その作者も、おいしい料理についての私の先入観を大きく覆した。
これは決して大げさな表現ではない。まさに衝撃だった。
かつて私は、誰にでも料理はできるというグストーシェフの有名なモットーを嘲笑った。
でもようやく彼の言いたかったことがわかったような気がする。
誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、誰が偉大な芸術家になってもおかしくはない。
グストーのレストランの新しいシェフは恵まれた環境で生まれ育ってはいない。
だが料理の腕において、フランスで彼の右に出る者はいまい。
近いうちにまた尋ねるとしよう。今度はもっとおなかを空かせて。」


ネズミが料理!?気持ち悪い。
ディズニーアニメ?子供のものでしょ。
そう思ってたらぶっ飛ばされますよ。
この映画のメッセージ性の強さ、完成度の高さに。

今は一億総評論家時代だと思う。
でも、同じ評論を書くなら見る人を幸福にする評論を書きたい。
この記事だって一種の評論です。
でも私は、好きなものをみなさんと共有したい、そんな気持ちでブログを書いています。