空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

「自分が言われたら・・・」

「自分が言われたら、嫌だと思わないのか?」
「自分だったら傷付かないのか?」

そう思っていたってことは、どこかで「思えるはずだ、思って欲しい」と、そう思ってくれることに望みを掛けていたって事だ。
でも最近、なんとなく気付いた。
「思わないのだ」。

されても嫌だと思わないからこそ、するのだ。
自分がされたら嫌だと思うか、それ以前に、立場を置き換えてみることもしない。
応用もしない。
もしかしたら出来ないのかもしれない。

これはもう・・・能力差というよりは、興味の対象の違いだ。



私に「お嬢」という言い方で皮肉や悪意、嘲笑を込める人に同じ方法を取れば、私が相手に「育ちが悪い」ということを悪意を込めて言ったことになる。怒るだろうなー。
でもほんと、そういうことだと思うよ。



昔県庁の星という織田裕二柴崎コウの映画を見た。内容は、キャリア官僚がこれからのキャリアのためにスーパーに一時、研修に行かされる。そこでお互いの違いから来る苛立ちにぶつかりながらスーパーの売り上げを伸ばすという目標のために、最終的に一致団結するのだが。その時いっしょにその映画を見た、野菜の卸し関係で働く人の感想は「だから頭だけの奴はなんにも出来ないんだよ」。
???
私それ違うと思う。
あの映画の言いたかったことはブルーカラーホワイトカラー関係なく働くと言うことは素晴らしい、仕事には真摯に向き合おうということではなかったのか?
それなら最初から「県庁(エリートさん)」と否定的なまなざしで見、団結して歓迎しなかったスーパーの店員側だって悪い。むしろ歩み寄った歩数ではエリート側の方が多かったではないか。
その私の同行者の理論では、じゃあスーパーの定員が県庁に来て、そこにでミスを連発したから、「だから体だけの奴はなんにも出来ないんだよ」と言っているのと同じだ。

私は、頭を使って仕事している人も身近に知っている。みんな・・・ものすごい努力家だよ?環境、能力、あったろうけども、みんなが遊んでいる間にもひとりで必死に勉強した、その事実なしに、いい大学に入ることは出来ない。その後も努力し続けるから、仕事だって評価されるんだ。
それをないことにするのはだめ。



応用、出来ないのかな。
自分が何かを断定的に否定したら、自分がそのことに強い劣等感やコンプレックスを抱いていることの証明になってしまう。
みすみす自分のいちばん弱い部分を露呈してる。

人を認めて、自分も努力する。
私はそうなりたいです。