空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

私のリサ。

17歳のカルテ、とうとう見ました。ムービーチャンネルで偶然やっていたので。

ずっと見たいような・・・見たくないようなだった。
自分が深く知っている世界をエンターテイメントが描く。違和感を感じるか、強い共感を抱くか、それともショックを受けるか。
全体的に、とても事実に近いと思います。あれが女性閉鎖病棟の中の日常と思ってもらってほぼ間違いはないです。
ただあり得ないと言えばたくさんあって、まず絶対に面会人、ましてや職員の男性と入院患者が入院中にSEXできることなんてあり得ません。少なくとも私が知っている場所では。
それと、「病棟内はこんなに広くない、こんなに清潔な印象はない」。
つまりもっとせまくてもっと汚いということです。
タバコもよく吸ってるなー。タバコは決まった時間もしくは場所でないと吸えないですよ。ライターの火も危険物です。

でも・・・ひとりの患者の症状が起こす他の患者のパニック、不安の空気の伝染を描いたり、最後に隔離拘束、拘束帯そのものを映像として写したこと。あれは実に、ありがたいと思います。あれが実際に今も行われています。
映像として見せることの影響力。病衣を着せられて強い薬を投与され、うつろな目で、外からしか開かない扉の中で、ひとりベッドに縛り付けられている患者。あれを見てあの立場ではない誰かの胸が、たったひとりでもいい、痛んだならと。

「ここはまるでナチスの拷問室よ!」
主人公であるウィノナ・ライダーが溜まりきった怒りを看護師のウーピー・ゴールドバーグにぶつけますが。あの閉塞感や理不尽で意味のわからないルール、たったひとつのプラス「命を守る」ことだけのために付随してくる数え切れないマイナス達に耐えるのは、並の神経でも、というより並の神経だからこそ、不可能だと思います。怒りを覚えなけれ不自然。
プライドが高ければ高いほど耐えるのは難しくなると思う。
退院後デイケア精神科医の講義で、「精神の休息のための入院」という言葉を聞いた時はなにかの冗談かと思いましたから。



前半部分がすごく・・・わかります。
笑うことだけが、何の希望も未来の保障も持ち物も、人としてのプライドもない自分たちを救ってくれること。そうしてかけがえのない友情や連帯感が生まれること。
顔にやけどの跡がある少女が「誰も自分にキスしてくれない」ことに気付き、パニックを起こし保護室に隔離された後。扉の前で仲間達が夜中に歌を歌うシーン、あれは泣けました。
でも・・・心の持ちようなのだ的なまとめは、う~ん。
自分の考え方ひとつで治ってたら苦労しません。
最後退院出来たウィノナよりも、拘束されながら「私は死んでない」と涙したアンジェリーナ・ジョリー。彼女の方が私には、まぶしく見えました。それだけ病気が重いから。ウィノナが早く治ったのは「ウィノナの方が頭がよかったから」でも「ウィノナの方が大事なことに気付くのが早かったから」でもない。病気の種類です。『治るのが早い人の方が優れているのだ』とは、絶対に思いたくない。日常的に精神病院に出入りしていた今までの自分のためにも、卒業者になるこれからの自分のためにも。
だから、自分よりもより理不尽な課題に今までも取り組まざるを得ず、これからも取り組んでいくしかないアンジェリーナの方が。私にはまぶしかったんです。



私にも、リサ(アンジェリーナの役名)のような子がいました。
とにかく目立つ。
不快なことばかりするのに、みんなに愛されてる。
天使のようで悪魔のようで。
大人っぽく笑ったかと思えば子供のように頼りなげに映る。
自分には女神に見えたり天敵に見えたり。
自由で、自由で、自由で。
何もかもを奪われても、誰も彼女から「遊び心」「その天才的なセンス」は奪えなかった。
何よりも、「魅力的」。病的な美貌もあいまって、独特のどうしようもない魅力を放ってた。

私がもっと強かったら、リサに手を引っ張られて笑ってばかりじゃなく、リサを叱れただろうと、思ったこともある。
ちなみに私のリサは私よりもずっと早く社会復帰しましたのでご安心を^^



精神病院の中だけにある、はかない魔法のような、奇跡のようなくすぐったい幸せな時間。それを追体験させてくれた、あの映画に感謝。