空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

美しい女性達。

どうやら「気が利く」ということと、「仕事ができる」ということとは密接に結びついているらしい。
この数日で、私はたくさんの人に会ったけれど、共通していたのは人が頼む前に人のために動けること、笑顔を絶やさないこと、そしてそれをやり慣れていること。

ある女性は、正装がふさわしい場に上着を別室に置いてきた私に「クーラーが効いてるから、寒いかもしれないよ」とさりげなく上着を着るように促してくれた。私の上着に白い汚れが付いてると言って、お母さんのようにはたいてくれた。
ある女性は、おしぼりが欲しい、と言ったお客さんに紙ナプキンでできたおしぼりを持って行って、「こんなものしかご用意できませんでしたが」と笑顔で渡していた。ほとんど会話をしたこともないのに、たくさんの荷物を持っている私のところへ来て、荷物を半分持つと申し出てくれた。

私は本当に自分は役立たずだと思った。でくのぼうだと思った。

やり慣れている。さりげない。なんてかっこいいことだろう。
それを人はプロというのかもしれないし、それが育ちと言われるものなのかもしれない。私にはわからない。

いつも主観と俯瞰の2つのカメラを自分の中に持っている。
場の空気や場に足りないものに真っ先に気づいて、自分が動くことでリカバーしていく。
私は、何もできなかった。本当に何もできない。
ただいるだけ。そのくせ食事だけは一人前は食べる。恥ずかしかった。
辛かった。何の役にも立てない自分が。
だから怒られる。無視されていく。
仕方ない。気が利かない自分のせいなんだから。

一方で、気は回らなくてもよく笑う、という女性もいる。私の父はそういう人のことをうっかり婦人と呼んでいるけれど、きっと面白いことが好きで、よく笑うことや、うっかりミスや無意識に面白い言動を取ってしまうことで場の空気を和ませられる。いるだけでもう、いい。

今の自分にできる精一杯の抵抗はと言えば。
自分がよく見えるからって見えない人に当たる人にはなりたくない。
人の仕事ができないからって悪口を言う人になりたくない。たとえそれが陰口で、本人の耳に入らないとしても。
とにかく、怒りたくない。怒る人にはなりたくない。怒りを自分の中から排除してしまいたい。
そして、ひょっとしての仮説だけど、余裕や優しさや思いやりにだって気が利くことと同等、もしくはある意味それ以上の価値があるんじゃないだろうか・・・?例え誰にも伝わらなくても。

辛いこと、たくさんあるけど。
まだ、頑張ろう。もう少し頑張らなきゃ。
今の自分にできる精一杯を。
みんなみんな、頑張っている。
みんなみんな、いじめられて来ている。

だって彼女達は美しかった。
肌が荒れていても、笑うと目尻にしわができても、アラフォーで2児の母でも、美しかった。