空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

「誰かのために」、「私のために」。

今日買い物に出て近所を歩きながら、ジュニアの文のことを考えていた。
ジュニアは「知らない誰かに笑いを与えることで自分に笑いを与える。知らない誰かを少し幸せな気持ちにさせることで僕に少し幸せな気持ちを与える。僕は僕のための素晴らしいコメディアン」だと書いていた。
これが、「誰かのためになにかをしたい」の原点なのじゃないだろうか。

なぜ誰かのためになりたいのか。
それが自分のためになるから。
こんなに簡単なことなのに、なぜ「ボランティア」という言葉を使ったり、そこに金銭の得や、疑心や、悪意が組み込まれたりしなければならないのだろう。
たぶん、この世の中に、「誰かを幸せにしたことで自分が幸せになる」、これをやったことのない人はいないと思う。ボランティアをやったことのない人なんてこの世にいない。

マザーテレサが言った、「あなたの中の最良のものを世に与えなさい」。
私の中の最良のものは、なんだろうか?
私はなにで誰かを笑顔に出来るだろう。



自分に与えられた能力と、自分が得た経験をmixして、それを誰かの役に立てたい。
こう考えることは、至極当たり前の流れじゃないのだろうか。



こんな素晴らしいことを共通させているジュニアとマザーテレサだが、
ジュニアが「マザーテレサに実際会ったらたぶん『ちっちゃ』って思てまう」と自身の詩集のなかで書いていた。
たぶん、接点。