空飛び猫の戯れ言

お菓子作り、メンタル闘病記、お気に入り動画など。空飛び猫の、ありのままの日記です。

お題「〇〇からの卒業」で記事を書いてみました。

今週のお題「〇〇からの卒業」

 

今週のお題「〇〇からの卒業」で記事を書いてみます。

 

甥、姪が進級します。

甥、高3。姪、中3。

大きくなったものです。

小さい頃は本当によく一緒に遊びました。

かわいかったエピソードもたくさん。

甥とレゴで遊んでいる時、「ちったあ頭使えよ」と言われたり。(誰かに言われたんだと思いますが、おちびちゃんがそんなことを言うのがおかしくて仕方なかった)

前にも書きましたが、甥にトーマスのホットケーキを贈ったところ「うれしくなかった」という電話がかかってきたり。

姪は雨の日、兄一家のマンションのベランダから外を眺めていた時、私が「トトロ喜んでるよー」と何の気なしに言うと、ちょっと戸惑ってから背伸びをした!トトロが見えるのかな、と思ったんだと思います。

他にもディズニーランドで買ってきたグッズで、部屋の中を暗くしてエレクトリカルパレードごっこをしたり。ちゃんちゃかちゃんちゃん・・・と私が歌って。

甥が優しい子なら、姪はおちびなのに強気な子。

でも2人が私にとって、世界一かわいい男の子と女の子であることには変わりありません。

今でも2人は私の中では、あの頃のおちびさんのままなのです。

 

私はと言うと、中学で不登校になったため、卒業式は小学校までしか体験していないのです。

そして今でも、小学校の同級生の夢を見ます。

毎晩のように見ます。小6当時の親友が、出てくるのです。

テストを受けていると一人だけどうしてもわからなかったり。

とても辛いと、主治医にも言ったのですが「夢は病的なものではない」「夢はコントロール出来ない」とのことでした。

 

私はいまだに、学校信仰から卒業できていないのかもしれません。

学校に、行ければよかった。本当は、得意だった勉強を続けたかった。

私はいつも気付くのが遅いのです。

中学3年の時、春休みに毎日母と学校に通い、中2一年分の勉強を詰め込みました。そうしなければ進級させられない、と学校側に言われたからです。

逆に言えば、春休みに先生が私のために働いてくださるほど、期待されていたということなのだと思います。

そしてテストでは、国語数学などでは平均点以上取りました。

歴史など記憶物は春休みに詰め込むのは無理だったので、選択問題には丸を付けて、あとはテスト用紙の裏に「私が歴史を好きになれないのは、年号の暗記だけをするからで、人間ドラマを描くのが歴史なら、私はもっと歴史を好きになっただろうと思います」というようなことを書きました。大学のレポートに近いですよね。

歴史の先生は最後まで、わたしが学校を辞めさせられることに反対してくれたと聞いています。

中3に進学して学校に行くと、私の周辺は様変わりしていました。仲のいい子が隣の席だったり。私は登下校を、そのグループの中で一人だけ、一人でしていて、それは好きでやっていたので何の問題もなかったのですが、登下校のグループが「一緒に帰ろう」と言ってきました。先生からの何かしらの指導があったんだと思います。

でも昔、小3当時私と親友だったグループのリーダーは、私が校則を破るのが大嫌いなのを知っていて、下校時みんなでアイスを食べる、と言いました。

断れなかった。嫌々みんなとアイスを食べ、結局また一人で帰るようになりました。こういう小さな嫌がらせのようなことが、平然と行われていたのが、今思い出しても嫌な気分になります。

とにかく、大人の期待があったんだと思います。

それは「この学校から○○大学に進んだ人間を出す」という期待だったんだと思うのです。そしてそのことに最近気付いた自分は、本当に鈍いなあと思います。

 

もしも、それは起こりませんでしたが、甥や姪が不登校になったら、やっぱり私は、「死ぬほど辛いんじゃなければ行った方がいい。」と言うでしょう。

生涯、後悔したり、傷を引きずることになるからです。

でも「死ぬほど辛いなら行くことはない。」とも言うと思います。

こちらでも相当に辛い思いをしてきました。

私は思えば、小さい頃から、ひょっとしたら記憶のある2~3歳当時から、メンタルヘルスだったのかもしれません。

幼稚園で、当時の近所の子達が皆1個上だったため、遊ぶ友達がいなくなることを心配して両親が、特例で私を1個上の学年の幼稚園に入れさせてくれました。

しかし結果、同じ学年を2回繰り返すことになり、「私の本当の居場所はここではない」という気持ち、そしてそれを先生に訴えても何も変わらないという現実が、私を内気にさせ、また「少しでも本当の私の居場所の近くにいたい」という気持ちから、2つの教室の境にあったトイレにしゅっちゅう行くようになったため、頻尿で病院に行くことになりました。

3歳当時の思い出と言えば、幼稚園のこと、母の乳がんのこと、と辛いことばかりで、それが私の人生の始まりなのです。

 

結局私はその後、高認を取って通信制大学に進学しますが、あまりの難しさと発病によってこの卒業もあきらめざるを得ませんでした。

私はなにか新しいことを始めるたびに発病したり、具合を悪くするので、両親はもう何もしないでほしい、家にいて、家事や、後々は介護をしてほしい、と思っているようです。

 

私は大学の卒業は出来ませんが、今卒業したいと切に願うのは小学校の夢を見ることからと、学校信仰から抜け出すことからの、この2つです。

暗い話ですみません・・・でもこれが、私の人生です。