お題「大人になったなと感じるとき」~隔離拘束・自傷・自殺未遂について~
今週のお題「大人になったなと感じるとき」
今週のお題「大人になったなと感じるとき」で記事を書こうと思います。
大人になるって・・・一般的に言えば成人した時。お酒を飲めるようになった時。
仕事を始めた時。恋人ができた時。結婚した時。子供が生まれた時。
などでしょうか。
私の思う大人になるってこと、それは、ひとつの苦労、どんな苦労でも、人生に訪れる山を乗り越えた時だと思います。
初年に来るか、晩年に来るかの違いはあっても、苦労、試練がやって来ない人ってほぼいないんじゃないでしょうか。
私は10代の頃から闘病が始まって、今も続いているし、一生続くのだと思います。
今まででいちばん辛かったこと、
それは隔離拘束を受けたことと、
拘束帯って知っていますか?
17歳のカルテという映画に出てきます。
精神病棟や認知症の病棟で使われることが多いよう。
自傷他害を防ぐための、身体拘束用のバンドのようなものです。
私は入院してもどこからか切れるものを手に入れては自傷を繰り返していて、それがあまりにひどく止まなかったので隔離拘束になりました。
普通隔離拘束になるときは点滴で薬を入れ、意識をぼやかします。
そうでないとあまりに辛いから、というのが理由だそうです。
しかし私には、その点滴が効かなかったので、隔離拘束中の記憶がばっちりあります。
あんなに辛いことはない、というぐらい辛かった。
いちばん辛いのが、食事の時は拘束を解いてもらうんですね。それで、食事が終わった後、自分からまた横にならなきゃいけない。
拘束帯の置かれているベッドにです。
拘束帯は磁石でとめるのですが、その磁石が、喉から手が出るほど欲しかった。
トイレもオムツから始まり、拘束を解いてもらっては便器がむき出しの隔離内のトイレに行き、また横になって拘束をされる、ということの繰り返しです。ちなみにトイレットペーパーも危険という理由からか、自分では取れませんでした。
食事の時は時間になったら看護師さんが持ってきてくれますが、トイレは自分で看護師さんを呼びます。
ナースコールなんて贅沢(危険?)なものはないので、大声で呼びます。
この孤独感も、拘束自体の辛さに比べればましですが、結構きつかった。
廊下には人がいるはずなのに、すぐそこに友達が何人もいるはずなのに、誰も声をかけることも、看護師さんを呼ぶ声を聞きつけて知らせることも、してくれない。
閉鎖病棟の中でも、隔離というさらにどん底の場所があることを知りました。
私は胴と手足の拘束でした。
拘束が徐々に弱まって、解放されたときいちばん感激したことは、丸まって眠れることです。自由な体勢で眠れることのありがたさ。これも拘束されなければ知りえなかったことです。
半身不随の患者さんと触れ合ったことがあります。
これは認知症の病棟で。多分自殺未遂の後遺症でしょう。
私は1か月でその病院から転院することが決まっていて、お別れに折り紙を折りました。
あじさいの折り紙です。
それを、この色がいい、やっぱり違う色がいい、と引き留めてまで迷ってくれました。
たぶん会話をする相手が欲しかったんだと思います。
私はあんなに激しく自傷、自殺未遂をしたにも関わらず、後遺症は腕の皮膚の一部がマヒしていることぐらい。本当に、ありがたい。
しかし私は隔離内でも自傷や自殺未遂をしたり、看護師さん相手に暴れたりしたので3か月間隔離内にいました。
あの何もない白い空間で、どうやって自傷や自殺未遂をするの?あそこに3か月って気が狂わない?と隔離に入ったことのある人なら思うと思います。
精神病棟への入院って、それ自体がかなりのストレスになるんです。
心身を休めることが入院の目的、と入院していた病院の手引きに書かれていたのを見て、私笑いましたから。
どういう冗談だって。
でもその後、また同じ病院に入院したのですが、施設も看護師のサポート体制も、歴然とよくなっていました。私の経験したのは、20世紀の精神病院の話なんでしょうか。
どうしてあの頃は怒ってばかりいたのか・・・今となっては不思議ですが、たぶん自分の気持ちをうまく表せなかったんだと思う。拘束は怖い、もう嫌だ、と泣くことでも出来れば、少しは同情されたのかもしれませんが、私は暴れました。
本当に、自傷も自殺未遂も、怒ってばかりいたことも、今では後悔の種です。
遠い昔のことなので普段はほとんど思い出しもしませんが・・・。
今はもうこんな病棟はないのかもしれませんが、私が入院した20年前は当たり前にありました。
そして今朝母から聞いたニュースでは、日本は拘束が海外の200倍(!)なのだそうです。それを少しでも減らそうとする動きがあるようで、歓迎します。
精神科の閉鎖病棟は入院する病院の善し悪しで天国にも地獄にもなります。
国立の病院はいいですね。お金にも人出にも余裕がある。
入院する時は緊急事態が多いと思いますから、そんな余裕はないかもしれませんが、下見しておくことを強くお勧めします。
認知症の病棟についてはまた今度・・・。
苦労は、本人にとってはない方がいいに決まっているけれど、人を磨くと思います。
闘病なんかは、まさに磨かれる機会じゃないでしょうか。
あまりに試練が激しすぎて、一時的に曲がってしまう人もいますが、大抵は乗り越えた時には、改善されると思うのです。
私にとっての大人は、苦労を乗り越え、成長した人達です。